学びのフロンティア
四天王寺高校・中学校【第2話】
起源を受け継ぐ医志の道
毎日新聞社
慈悲救済の心を養う
四天王寺高等学校・中学校は医学部志望者が多く、名古屋や広島からも通学する。同校には「医志コース」があり、2025年度の大学入試ではその他のコースも合わせて29人が国公立大の医学部医学科に進学した。既卒者を含めれば42人に上る。「医志」とは何か。同校のルーツに関わる歴史に起源を求め、「人を救う慈悲救済の心」を現代にどう受け継ごうとしているのか取材した。【安部拓輝】
四天王寺縁起によれば、聖徳太子は西暦593年、上町台地に、わが国最初の官寺として四天王寺を建立した。その際に講じた施策が「四箇院の制」。四天王寺の北側に施薬(せやく)院、療病院、悲田(ひでん)院の3施設を設け、全ての民衆の救済を目指す拠点とした。もう一つの施設の敬田(きょうでん)院は仏教の教えを学ぶ教育、求道の場で、四天王寺そのものがそれを担った。療病院は医療、施薬院は薬草による療養や食餌療法を担う。悲田院は老人や身寄りのない人たちのための福祉施設だ。
日本の医療福祉の起源
「四天王寺は日本の医療と福祉の始まりだということを知っていますか」。医療型の重症心身障害児者施設「四天王寺和(やわ)らぎ苑」(大阪府富田林市)の塩川智司(ちずか)医師は2025年12月23日、同校の講堂で生徒たちに問いかけた。
塩川さんの講演は、漠然と医学部を目指すのではなく、医学を通じて何を目指すのか考えてもらうことが目的だ。和らぎ苑を運営する社会福祉法人「四天王寺福祉事業団」は聖徳太子の仏教の精神(こころ)を受け継ぐ組織で、府内20カ所の施設の中には「悲田院」の名を継いだ四天王寺福祉事業団の要となる施設がある。
小児外科医の塩川さんは大学病院や急性期病院で35年以上にわたり新生児や小児の手術に携わり、発展途上国の医療支援や救命医療にも関わった。小さな赤ちゃんを手術する中で障がいがある子どもや支援学校との接点が生まれた塩川さんは、還暦を機に障がいのある子どもたちを支える医療を生涯の仕事に選び、2016年に和らぎ苑の施設長となった。そこでは、人工呼吸器やたんの吸引、胃ろうなどの医療支援と生活介助が必要な人たちが暮らしている。それまでの病院では病気の治癒を目指し、早く治して日常に復帰させ次の患者を受け入れることが医療の前提にあったが、和らぎ苑の医療は、治らない病をもつ人の全ての「Life(命と健康、生活、人生)」を丸ごと支えることが使命だ。すべてのスタッフは、医療やケアを受けて生きる人たちの笑顔のために働き、家族ともつながっている。「ここでは私も『大きな家族』の一員です。そんな医療もあることを知ってほしい」。塩川さんは生徒たちに語りかけた。

講演の後、質問に残った生徒がいた。親戚の子に重い障がいがあるという。「どう接したらいいのでしょうか」。そう打ち明けた生徒の頭を塩川さんは優しくなでた。「髪と手のひらの間に紙が一枚あるように、じわっと優しく接してごらん。一回ではなくて、何度も。あなたの気持ちは伝わるよ」。生徒は両手を差し出し、塩川さんに握手を求めた。寄り添う友人も、晴れやかな笑顔で握手した。
「話しに来てくれて、うれしかったですね」。塩川さんはそう言ってほほ笑んだ。「医志」とは医歯薬系の仕事に就くことだけを意味しない。自分にとって大切なのは誰か、自分にできることは何かを何歳になっても考え続けること。そして、なりたい自分に近づこうと努力し続けることが「医志」だ。70歳を過ぎた塩川さんは、今も目指す先輩の背中を追いかけているという。そこに自分の生きる道がある。「あの質問が彼女たちの道をひらくきっかけになれば、私はうれしい」。そう話していた。
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来週の第3話は、保護者の関わりについて考えます。